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げっ!?大学受験に失敗しても終わりじゃない!仕事運10倍アップの人生

 
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『暮らし遊び村』村長
 
暮らしコンサルタント。相談歴20年。相談者数は延べ3,200人🏠

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夫・長男・次男の4人家族
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想いが強ければ夢は叶う、本当のおはなし。

 

9カ月前ほどまえのある日、突然、短大時代の恩師の言葉を思い出した。

「あなたはあなたにしかできない仕事をする人生を歩みなさい」

と大学教授職への話をことわり、スピード婚を選んだ私にかけてくださった言葉。

 

この言葉には何度も助けられ、そのたびに感謝してきた。

独立開業して3年。自分がやりたいことが世の中で認められるまでの難しさを感じるなかで、30年以上も前、必死になってあがいていた受験期の私の記憶と重なった。

「これからどう仕事を展開していこうか?」

といろいろ悩んでいたところに、過去の自分からエールが届いたようで、夫に早口でしゃべりまくったことを書いてみようと思います。

 

 

0点のテスト

私は小学生の時、1学年先の勉強を家庭で教えられていたので、小学校のテストではほぼ100点しかとったことのない生徒だった。解けるのが当たり前。だってもうずっと前に家でやっているから。唯一、苦手だったのは美術とマット運動だけ。

6年生のときには学校初の女生徒会長だって経験した。

「1番になれ」

という母からの圧力は感じていたが、1番をキープすることのしんどさを子どもながらに感じていたので、わざと2番をキープしているような子どもだった。

 

ただそんな私にも思春期の反抗期とストレスがきて、中学2年くらいからだんだんと勉強に難しさを感じ始め、高校1年の1学期にはとうとう授業についていけない日がきたのです。しかも、過食気味で父親を超すほど体重増加。体育だけは自信があったのに、コロンコロンの体で走れるわけがない。体育の成績だってガタ落ちだった。

 

忘れもしない、高校1年1学期。

化学の期末テスト。

答案を見ても、何も分からない。

適当に書くことすらできない。

見事に【0点のテスト】が返却されてきた。

 

いくらなんでも0点はないでしょ。

いや、あったんですよね。そこに【0点のテスト】が。

 

自分の中で、小中の記憶から「勉強は得意」という思い込みができていたところを、ついに現実を認めざるをえない状況になった。

しかし驚いたことに、危機感をもつどころか、妙な安堵感にかられたのだ。

今まで頑張ってきたことを、自分の力で初めて手放した。

本当は、私が0点をたたき出すことで、世の中はひっくり返るのではないか?というくらい怯えていたのだが、そんな現象は何も起きなかった。いや、起きてくれたほうが、本当は自分を立て直せたのかもしれない。

どこから理解できなくなったのか、どこから足を踏み外したのか。もはや分からない状況。

なのに、絶望と焦りさえなかった。

 

 

赤点ぎりぎりの高校時代

問題は化学だけではなかった。すべての教科において、赤点ぎりぎりのような成績になった。

四天王寺高校という大阪の進学校で、下から10番以内に入っていたと思う。

勉強がダメなら部活動や習い事で挽回するというのが今どきの進学校かもしれないが。当時の四天王寺は、部活動も日本一のものが多く、ちょっとやそっとでは追いつけない雰囲気があった。小学校のときは週7日もお稽古しているほど習い事マニアだったけど、もはや燃え尽き症候群。器用貧乏で、何が好きで何がきらいなのか分からず、やりたいこともなかった。

結局、部活動は何に入っても続かなかったけど、唯一、夢中になったのがディスコ通い。

まぁ、高校生が・・・思うかもしれないが、当時、大阪の私立進学校ではわりと普通だった。みんな何を目指していたのか分からないけど、真面目に踊って、気楽に笑って、たわいもないことを語り合っていた。

そんなことを繰り返していた私が、まさかの決断をする日がくるんです。

 

 

「先生、私、K大学を受験します」

当時の私の成績を見たら、何を馬鹿なことを・・・と言われても仕方のない決断だと思う。しかし、私はK大学の建物を見た時に、ひとめぼれしたのだ。風光明媚な建物に囲まれて、ファッションリーダーのようにオシャレな憧れの先輩たちのように、英語をペラペラと学内で話している私が目に浮かびだしたのだ。

当時、偏差値は関西でトップクラスの大学。

 

しかし!

高校3年2学期の進度相談のとき、担任に言われた言葉。

「日本中どこの大学にも合格できないと思います。受験料でフランス料理を食べにいったほうがムダづかいになりませんよ。」

一緒にいた母はショックでフラフラになっていた。

 

不思議なことに私はやる気満々に。「K大学まっしぐら!」って感じで走り出した。

今になって考えてみると、先生から励まされたり、応援されていたら、あんなにまで燃え上がらなかったかもしれない。わき目もふらず、受験勉強に集中できたのは、「合格できない」とハッキリ言ってくれたおかげかも。

「できない」と他人から言われると、「絶対やってやるかならな!」と変なやる気がでるときってありませんか?

 

 

とりあえず短大に入学

当然、K大学は不合格。しかし、浪人という選択肢はなかった。

すべての予備校を体験しにいったのだが、どうも建物の空気感が苦手だった。専門学校のパンフレットも取り寄せてみたが、なんかピンとくるものがなかった。

そんなとき、新聞広告が目に入った。

 

夜間の外国語短大が3次募集!

 

これだ!!!

 

ここに通いながら、仮面浪人をしよう。そう決めた!

 

当時、子どもの数が多かったので、3次募集でもかなりの倍率。なんとか合格し、とりあえず入学。

同時に、K大学生に負けないぞ!という強い思いから、英語の専門学校にも入学した。

 

朝9時~16時までは専門学校。

夜18時~21時までは短大。

 

朝から晩まで英語づくし。そんな生活が始まった。

行きたくない短大に通っているにもかかわらず、とにかく毎日が楽しかった。英語を学べる環境にいたことが楽しかった。気がついたら、体重は自然と減っていた。

時間とお金がある限り、とことん英語を究めるために、色んなことに挑戦。

週末は国費留学生に日本文化を教えたり、京都の町を案内するボランティアをして英語力を磨いた。日本文化の知識や体験も深めようと、茶道や華道、着付けなども習いにいった。

 

もちろんK大学の受験勉強も忘れていなかった。

 

そんなとき、短大で恩師との出会いがあった。高校で落ちこぼれだった私は、短大では成績優秀者になっていたこともあり、先生の方から声をかけていただいた。

「短大を卒業したあと、慶応通信に編入して学士を取得。最短3年で卒業したあと、私の弟子になり、大学教授として働きませんか?」

と思ってもいない言葉をいただいたのだ。

 

 

恩師が導いてくれた未来へのメッセージ

あれから30年の月日がたち、2人の子どもを持つ母となった。ちょうど今年は次男が大学受験の年となり、あのころの私と重ね合わせて、このコラムを書いている。

思えば短大時代に出会った恩師は、たくさんのメッセージを私にくださった。今、暮らし遊びライターとして活動する原点となっている。ここでぜひ紹介したい。

 

・恩師の授業は「人間について」のレポートを授業ごとに提出する形式だった。当時から書くスピードが速かった私は目立っていたようで、

「毎回、あなたの文章を読むのを楽しみにしていました。レポートを読んでいて、会って話してみたいと思った生徒は初めてです。」

とお声がけくださったこと。

⇒受験勉強での失敗を大学の勉強で取り返そうとしていたときだったので、見ていてくれた人がいたことが嬉しかった。私自身に「書く力」があるということを教えてくださったり、人間関係学という学問の楽しさを教えてくださったのは恩師で、今、「書き物」や「相談業」を仕事にしていることにつながっている。

 

・弟子を1人もとらない名誉教授。「私の弟子になりませんか?大学教授までの道は保証します」と。

⇒大学教授への道なんて考えもしなかったこと。4年生大学への進学もあきらめていたので、学士をとって、そのあとのルートまで整えてくださる方がいるなんて驚きだった。

 

・慶応通信を最短3年で見事に卒業見込みになったところまではよいのですが、卒論提出後に出会った彼とスピード婚することに。

恩師に卒業の報告をする予定が、

「申し訳ないです。予定通り卒業できるのですが、東京で結婚したい人と出会いまして。大学教授の道はやめることにしてもよろしいでしょうか?」

ということに。

きっと怒られるだろうとヒヤヒヤしていたのですが、先生は

「結婚は素晴らしいことです。それならば、あなたはあなたにしかできない仕事につきなさい。それができる人です。他の人がやれる仕事がやらなくてもいいです。」

という思いがけない御祝いの言葉をいただいたのです。

⇒どう考えても私のわがまま。将来まで約束して段取りまでしてくださっていたいたのに、夫との結婚をとても喜んでくださったうえに、今度は働き方の指針までくださった。

 

・慶應時代にたまたま出会った彼とは生涯を共にする夫婦に。「幸せを一緒に作ろうよ」と言ってくれた彼。当時の私はひねくれものだったので、「幸せにするよ」だったら結婚したいと思わなかったかも。「一緒につくる」なんてステキな言葉。これがスピード婚の決め手だった。

⇒大学も職場もバラバラ。何も接点もない人とスピード婚。見たのは友人の結婚式のビデオ。「この人と一緒に過ごしたら一生、面白い人生になるかもしれない」の第一印象で今に至っている。

 

こんな偶然みたいなことがあるのかな?

いや、あったんです。

大学受験に落ちてから、目の前のことに一生懸命取り組んできたら、すべてが偶然みたいな奇跡みたいな出来事ばかり。それが少しずつ積み重なって、自分なりの楽しい暮らしが動き始めていったんですね。

しかも今、私は私にしかできない「暮らし遊び」という独自の事業を創り上げ、動き始めています。

 

30年前の私は、ただ目の前のことに必死にくらいついていただけの暮らし。誰かのためにとか、世の中のためになんて全く考えもせず、自分のことで精いっぱい。自分の未来すら不安と葛藤で見えていませんでした。

 

高校時代の私は友だちと遊ぶことだけに燃えていただけで、学業面についてはただ模索してもがいていただけだったような気がします。学業だけでは将来やっていけない何かに気がついて、だけど何をしていいのかも分からずに遊ぶという行為で気をまぎらわせていただけだったのかもしれません。

勉強していなかった高校時代の私が悪いとは分かっていても、希望通りの大学に行けなかった絶望的な状況からはいあがるために、K大学を追い求めることで細く差し込んでくる希望の光に向かって一歩、一歩丁寧に前進しようとしていた時代。

私の人生の中で本当にがむしゃらに周りをかえりみず頑張っていた時代であることは、今振り返っても間違いありません。

 

「自分が将来、困らないために今、勉強して努力するんだよ」

 

受験中、きっと誰もが周りの大人から言われた言葉。「そんな言葉なんてくそくらえ」と思って、逃げ出していた私の高校時代。「大人の決めたレールの中で生きていくもんか」と思っていた私の高校時代。だからこそ、受験勉強は自分のためと思えなかった。

 

しかし、変わった。

K大学に出会って。すべてが自分のために・・・。誰かのためでなく、自分の未来のために。誰かとの戦いでなくて、自分との戦いに。

そう、このときには奇跡が起こり始めていた。

あれほどまでパンパンに膨れ上がっていた体が自然とやせていたのだ。夢中になれるものがあるってすごい。レースクィーンや天神祭りのおみこしギャルに書類審査に合格するほどまでのボディや、自信にあふれた笑顔に変わっていたのだ。

 

でも、30年経った今、想うこと。

「自分が正しいと思って頑張ってきたことは、思いもしないところで芽が出てくる。自分のためだけに頑張ってきたことを認めてくれる人が現れ、誰かのために頑張れる自分へと成長させてくれるのだ」

 

私に起こった出来事は、特別なものではありません。きっとあなたの周りにもあること。もしかしたらなかったかもしれないような、ちょっとした出会いが、あなたの人生を大きく変えるんだよ。

私がK大学受験にのめりこまなかったら、起こらなかったような奇跡。私を見いだしてくれる恩師とも出会わなかった。生涯を共に過ごし、私のやっていることすべてを全力で応援してくれる夫とも出会わなかった。そして、今、大学受験を経験した2人の子どもたちとも出会わなかった。

 

 

あなたが頑張ってきたことは、きっと誰かが見つけてくれる

本当にがむしゃらに頑張っているけど、世間の人たちとやり方が違う時、ふと孤独を感じることもあるだろう。

でも、いつも一人ではなかったんだ。

 

私が頑張ってきたことは、必ず誰かがいつか見つけてくれる。その”いつか”がやってくるまで、マイペースで頑張っていればいい。焦って不本意な人たちと交わらなくてもいい。自分が「こうだ!」と思う人に見つけてもらえればいいのだ。

 

だから、あの頃の自分に

「今、あなたが頑張っていることは、未来の誰かに出会うためにあるんだよ。あなたのいいところも悪いところもまるごと認めてくれる人が見つけてくれるためにあるんだよ。」

と伝えてあげたくなった。

 

だって仕事を始めてからの人生は楽しすぎるから。大学受験で仕事運を使いすぎなくてよかった。本気でそう思えるから。

 

50代を目前にしたおばさんの小さな幸せのお話。

すべての頑張っている人に届きますように・・・

 

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