自分に正直なブログで人生を変えるストーリーの誕生

自分らしさあふれるブログ第2弾。
第1弾の記事「『Be Yourself 自分らしく輝いて人生を変える教科書』から始めよう」を読んでいない方は、コチラをご覧くださいね。
さてさて、私のストーリーなんて書いても、誰も読んでくれないし・・・と以前の私だったら言っていたかもしれません。でも、今の私は違います。
応援してくれる誰かがいるから、私らしさ溢れるブログでサイトをいっぱいにしていく夢で溢れています。
とはいっても、実は不安もいっぱい・・・
「おいおい、矛盾しているじゃねぇか」って声が聞こえてきそうですが、ここは大人なので聞こえないふりしておきます。
しかし、ちょっとだけ小さい声で本音を言ってもいいですか~
第1弾の自分らしさ溢れるブログを書き終わったら、めちゃくちゃ気持ちがよくて、その勢いで昔のブログをチェックしていたら、自分らしくない表現がいっぱいで、読んでてイヤになり削除しちゃったんです。
そうしたらね・・・
当たり前なんですが、5月のGoogleアップデートの影響を受けて以来、元通りに戻せていないPV数がさらに落ちてしまって撃沈しています。
でも、捨ててしまったものに落ち込んでいてもしょうがないので、新たな気持ちで書いていきます。
というわけで、今回は長楽さつき誕生ストーリーから書いていきたいと思います。
40代で人生を変える!長楽さつきストーリーの始まり
頭が大きくて、超巨大な赤ちゃんが大阪で誕生。
写真で見ても、スイカのように大きな頭が目立つ赤ちゃん。しかも、母が私を重たそうに抱きかかえている雰囲気が写真越しに伝わってきます。
頭が大きくて、超巨大な体は、のちのち悩みの種になっていくのですが、それは後のお楽しみに・・・
習い事を始めた幼児期
私、「習い事の女王」という称号をもらってもいいくらい、小さい時から習い事オタクでした。
初めて習い事をしたのは、2歳。近所の保育園に絵の先生が来ていて、園児でもないのに、その時間だけ仲間入りさせてもらっていました。2歳なのに、目の前にモチーフが置いてあって、「そのとおりに描きましょう」という教室だったのですが、全然、書けなくて苦痛だった記憶しかありません。
今、絵やイラストは、世の中で一番、苦手なものですから、子供の興味がないものを早くに習わせてもあまり効果的ではないかもしれません。
私と正反対で、大学生になる息子は絵が上手いです。幼稚園の時の絵なんで、真っ黒に塗りつぶしたような絵ばっかり持って帰ってくるので、先生に聞いたことがありました。
私「こんな真っ黒な絵ばっかり描いていて大丈夫なんでしょうか?」
先生「〇〇くんは真っ黒な絵を描いているつもりはありませんよ。大人から見ると、真っ黒に見えても、子供はちゃんと描いているものがあるんです。」
確かに、いつも先生は絵の端っこに「鬼ごっこしているところ」とか「川遊びしているところ」とか、子供に何を描いているのかを聞いて、コメントをつけてくれていました。
真っ黒に描いているからといって、この自由に描いている絵を、大人が「ここをこうしなさい、こういうふうに描きなさい」と指示をだしたり、アドバイスをすることで、絵が萎縮してしまい、絵を描けない大人になってしまうのだそうです。
私が絵が描けない大人になったのは、こういう理由だったのかしら?・・・と思った瞬間でした。
初めて英語に触れる幼児期
3歳。父の仕事の関係で、日本の幼稚園を2ヶ月で退園して、香港に引っ越しました。
香港は当時、イギリス領土だったため、イギリス系の幼稚園に通うことになりました。
まぁ~、これが大変!
いきなり日本人が1人もいない幼稚園にポンと放り込まれたから、ボゥッーと突っ立っている日々が続いていました。しかも、香港は世界各国から転勤で集まっているため、世界中の子供たちが勢ぞろいしている幼稚園でした。
母国語がバラバラだから、英語なのか何なのかすら区別がつかない言葉が飛び交う空間。
肌の色や髪の毛、目の色、何もかもが今まで見たこともない子供たち。
でも、気が付いたら、普通に遊んでいました。何をしていたのか、どうやって話していたのか、全然覚えていませんが、言葉が通じなくても何にも問題ありませんでした。
このときに、知らない集団に飛び込んでいく度胸と、どんな人も最初の印象だけで決めつけないクセがついたように思います。
人生を変えるピアノとの出会い
ピアノと初めて出会ったのは、3歳のときでした。今も弾いているので、ピアノ歴は長いです。
中国人の先生との中国語でのレッスンでした。
幼稚園は英語、ピアノは中国語、家では日本語・・・
トリリンガルというとカッコいいですが、何か日常的に溶け込んでいたような感じでした。
さらに書道、バレエを習い始めました。バレエは体が異常に固く、巨大なため、1年で断念。3歳ながらに、体をバレエができるくらい柔らかくすることは努力してもできない壁があることを、周りの子供たちを見て思い知りました。そのため、水泳に習い事は変更して、気持ちがラクになりました。
自分らしくできない幼稚園年中~小学校低学年
4歳からは香港日本人幼稚園に転園。日本人の子供ばかりの中に交わると、自分が超巨大な女の子だということを実感せざるをえませんでした。
当時の写真は、隣の子と背の高さを合わせるかのように下向き加減で猫背。
椅子に座っていても、異常に座高が高いので、これまた目立つ・・・
他の子供より頭2つ分以上、大きいのがコンプレックスに感じていたんだと思います。
ただ、外遊びが大好きだったので、遊びだすと本領発揮できる活発な女の子でした。
転機が訪れたのは、小学校2年生の1学期に大阪の小学校に転校することになったときに、担任の先生がお別れカードに書いてくれた言葉。
「みんなの前で、国語の本を読むときの声が小さい。
いつもいつも背中を丸めていると、さつきは誰よりも早くおばあさんになっちゃうぞ~」
というメッセージが書かれていました。
当時、大好きな先生でした。お天気がいいと、授業をやめて、裏山に登山に連れていってくれたり、校庭で水遊びさせてくれたり・・・
自然のおもむくままに、子供たちの声を聴いて、授業をしてくれる先生だったので大好きでした。そんな先生とお別れするだけでも悲しいのに、とてもショックな言葉が書かれていたので、「絶対、克服する!」と心に誓ったことを覚えています。
自分らしくありのままで過ごした日本の小学校
日本の小学校にもどってきてからは、なぜか猫背と小さな声は克服していました。
まぁ、とにかく充実していた小学校時代でした。
遊びという遊びはしつくした感じでした。
- わりと昭和の遊び(こおりおに、かくれんぼ、メンコ、ゴム飛び)
- 現代のスポーツ(サッカー、ドッジボール、バドミントン、ローラースケート)
- 最近、危険でなくなった遊び(ブランコ、ジャングルジム、高い鉄棒、棒上り)
- 書き物好きに通ずる遊び(交換日記仕掛け人だったので、ピークは10グループくらいかけもち)
- 習い事(ピアノ、そろばん、キックベース、書道)
- 部活(バレーボール)
当時、女の子はスカートという時代だったので、おてんばすぎて、毎日、スカートは破いてしまっていました。
球技を通じて学んだのは、自分は前面でチームを支えていくのではなく、こぼれ球を拾って得点していく選手を目指す方が得意だと悟っていたので、今、仕事でも裏方でサポートすることが得意なのかもしれません。
自分らしく話す言葉が見つからない生徒会長時代
当時は生徒会長は男の子がやる時代。
立候補するだけでもビックリされたのに、選挙を勝ち抜き、学校初の女会長となったため、先生たちのほうが戸惑っていました。ポスター作成や、演説のやり方を少し工夫しただけで、一気に票が増えたのです。
今でも演説は覚えていますが、仲間3人で大きく両手を広げて、
「すみからすみまで、どうぞよろしくお願いします!」
とちょっとした勇気を出してパフォーマンスをしただけで、会場がウォーッと湧き立ちました。
生徒会長に就任してからは、毎週1回、全校生徒の前で校長先生のように、何か1つ話をしなければなりませんでした。
しかしなぜか、私が朝礼台で「みなさん、おはようございます!」と挨拶するだけで笑いがとれるのです。
教室の本読みが苦手だった私が、大勢の人の前で話す役割を担うことになるなんて不思議なものでした。しかも、笑いまでとれるなんて・・・
私の小学生時代はおっしまい!
まとめ:今の仕事につながる「強み」と「弱み」
・強み・・・裏方サポートが得意/交換日記が好き/コツコツ地道に練習するのが好き
・弱み・・・教室くらいの人数の前で話すのが苦手/体が固い/座高が高い