隠された思い出が大人ピアノの原点!オッケー!音楽話でも聞いてく?

先日、ツイッターにこんなツイートをしました!

 

私の音楽の原点は、ここにあります。

今回は「隠された思い出が大人ピアノの原点!オッケー!音楽話でも聞いてく?」についてお話したいと思います。

 

隠された思い出が大人ピアノの原点!オッケー!音楽話でも聞いてく?

 

私のピアノ音楽の原点

音楽の話です。

古い話なので、少し今の時代とはズレがあるかもしれませんが、私のピアノに対する想いを書いておきたいと思います。

 

 

私は3歳からピアノを習っています。

小学生の頃はプロを目指すだけの腕前はないけれども、学校ではプロのピアニストを目指す女の子とよく比べられていました。

 

ピアニストを目指す子は、毎日、学校でオルガンを弾いていましたが、なぜか独りぼっち。一方、私がオルガンを弾くと、クラスの子供たちが1人2人と集まってきました。

 

小学生時代の私には不思議でたまりませんでした。

私より上手くて、すごい曲を弾く子の周りに、なぜ誰も集まってこなくなるのかが・・・。

 

あとから分かったことですが、プロのピアニストを目指している子の演奏は子供にとって面白くなかったんですね。

超絶技巧で「すごいなぁ」って「感心」はするんだけど、面白くないから、「勝手に弾いていればぁー」みたいな感じになって、子供たちは楽しい遊びのほうに行ってしまっていたんです。

 

じゃあ、なんで私のほうには人だかりができていたかというと・・・。

みんなが歌いたかったり、踊りたかったり、聞きたかったりする曲をリクエスト通りに、次々と弾いていたから。ただ、それだけだったのです。

みんな楽しかったんだそうです!ピアノを弾いている人も、周りの人も同じレベルで楽しめていたから。

子供にとったら、みんなで遊んでいるのと変わらなかったんですね。

 

プロレベルの腕前のない小学生の私がなぜでしょうか、友だちのリクエストに応えて、いろんな曲を弾けていたのはなぜでしょうか?

学校でもらう「みんなのうた」という小さい歌集を家で練習していたから。

私は「みんなのうた」が大好きな子供で、家で暇なときに勝手に伴奏をつけ、弾いて歌っていました。

勝手に伴奏がつけれるようになっていたのは、当時は音の感覚を耳でさぐりながら、メロディーに合う伴奏をつけていました。

 

大人になってジャズを始めて、コードを知ってからは「あぁ、このことを当時、理論なんか知らずに勝手にやっていたのね!」ということが判明しました。

 

 

 

私は学校の帰り道、リコーダーを吹きながら帰るのを楽しんでいました。

リコーダーを吹けば、1人2人と友達が寄ってきて楽しい楽団になるから。

 

私がリコーダーを吹けば、誰かが歌う。誰かが踊る。そして、誰かは聴いている。そんな学校の帰り道でした。

これを毎日ひたすらやって、楽しんでいました。

 

学校から家までの道のりは20分。ご近所の人は、こんな子供の姿を見たり、聞こえたりして、知っていたと思いますが、「うるさい!」とも言われたこともない、とってもよい時代でした。

今の時代だったら、ご近所からクレームになってしまうのかもしれませんね。

 

しかし、あるとき軽い障害をもつ男の子がいじめられていました。

いつもの学校の帰り道の途中の出来事。

楽しそうに歌って踊る楽団に、その男の子も入ってくるようになったのです!もちろん、いじめていた子供も・・・。

音楽の力のすごさを子供ながらに感じたのは、そのときでした。音楽があれば、いじめまでなくなったのです。

 

リコーダーの選曲もやっぱり「みんなのうた」。私の人生では「みんなのうた」は大活躍!

音符大好きな子供だったから、リコーダーでも全曲「みんなのうた」を家で吹いていて制覇していました。

 

 

 

小学校高学年になり、プロのピアニストを目指していた女の子と同じ先生のレッスンを受けたくなりました。

そのころの私はやっぱり超絶技巧にも憧れがありました。

それでも、親に「わざわざピアノの先生を変える必要はない」と言われて諦めたことを覚えています。

 

 

 

そうこうして中学生、高校生となりました。ゆるやかなピアノレッスンだったこともあり、クラシックピアノからはかなり遠のいていました。

一般的な中高生と同じくポピュラー音楽や洋楽が大好きになりました。コンサートにも行きまくっていました。

ちょっと普通の中高生と違っていたのは、好きなアーティストの曲は耳コピして弾いてみたい!と思うようになったこと。

中高生時代に耳コピができるようになりました。

 

洋楽に興味をもった理由は、当時、流行っていたディスコがきっかけ。ユーロビート(今では知らない方も多いのでは・・・)が大好きで、ディスコ大好き中高生だったんです。

バブル真っ盛りで、今の若い人からは考えられない時代でしょうね。

ディスコは体で音楽を感じられる場所。踊りにきたお客さんたちの一体感があり、体がぶつかりあうくらいに盛り上がり、みんなで楽しめる音楽そのものでした。

 

 

 

さて、高校を卒業をしてから大学時代は、海外のディスコに行きました。印象的だったのは、トルコとカナダのディスコ。

 

トルコは洞窟そのものがディスコ。あまりにも幻想的な空間でした。音楽とインテリアの調和について興味を持ち始めたのも、そのころです。

 

カナダは、大学生がどこでもディスコにしてしまうことに驚き。公共施設を大学生が借り切って、一晩中、踊りまくれるスペースを作っていました。

そもそも公共施設が一晩中、大学生に貸してくれること自体、スゴイことですね!

 

 

さらに、大学時代に衝撃を受けた音楽は、インドネシアとイタリアとスペインの音楽。

 

インドネシアの留学生は、休み時間、大学の教室で、ギターを弾きだしました。そうしたら、どこからともなくインドネシアの友だちがやってきて歌う。踊る。誰かが聴いている・・・

いつしかみた光景と一緒でした。

小学生時代の光景そのもの。

 

スペインとイタリアでも音楽は日常的。レストランで誰かがギターを弾きだすと、誰かが踊る。ワインもすすむ。踊りの輪がどんどん増えてくる。歌も始まる。手拍子も・・・。レストラン全体の一体感が生まれてくる。

 

どれもこれも音楽が暮らしの中に根付いている感じでした。日本で味わったことのない感覚でした。

私の好きな音楽はこうなんだ!

 

大人になってはじめて気づきました。

そんな音楽を伝える仕事をしていきたい!

 

 

 

ライターとして収入が入るようになってからは、ピアノまで仕事になるようになりました。趣味のピアノが、仕事へのピアノへと変わりました。

ライターをしながら、大人ピアノ研究家をしていることが面白くて仕方ない。想像もしない仕事がどんどん舞い込んでくることが、ジェットコースターのような人生となり、どこまでもチャレンジしてみたくなります。

主婦ママでありつつも、あることに特化してやっていると、仕事でもそれまた唯一無二の存在になれるものだということを実感。

 

 

私は今、40代後半。年齢的には、もう立派な中年のおばさん。

先のことは分からないけど、人生100年時代、これからの人生が何か音楽に繋がることが見つかったことが何よりも嬉しい!